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キアゲハ通信No.033-「2006年ワールドカップ(W杯)」

2014.06.09 更新

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「2006年ワールドカップ(W杯)」

院長 西田 善彦

  来年のことをいうのはまだ早いのですが,来年6月にドイツで開かれるサッカーW杯への出場を神様ジーコ率いる日本が世界に先駆けて決めてくれました.これでこれから来年まで熱く楽しめそうというわけで今回はジーコジャパンについてお話しします.

 そもそもジーコ監督は1978年から3大会連続でW杯にブラジル代表の中心選手として出場し,優勝こそ出来ませんでしたが,正確なスルーパスとフリーキックで観客を魅了し,神様と呼ばれたのでした.そして1990年に現役を退いた後,ブラジルスポーツ省の初代長官に任命されていましたが,サッカーをこよなく愛するためサッカー後進国であった日本の弱小チームで再びプレーしてくれたのです.その後の活躍は言うまでもなく彼のプレーした鹿島アントラーズは有数の強豪チームとなり,Jリーグの発展と日本代表チームを支えています.

 彼は1994年に2度目の現役引退をしましたが,その後も日本とは縁が深くついに2002年に日本代表チームの監督に就任されたのです.前監督のフランス人のトルシェは日本人の肉体面の弱さから戦術と規律をもってW杯を戦い,16強の成績を残してチームを去りました.これに対してその後を受け継いだジーコは“自由”を掲げたものですから,元々真面目で勤勉と言われる日本人には,やることを明確に指示してくれないジーコのやり方が“放任”とか“無策”のように写りました.しかし彼は何といわれようと自らが選んだ国を代表する選手はその誇りにかけて力を出し尽くしてくれるものと100%信頼し,たとえ失敗しても選手をかばう態度をとり続けました.そしてこれまで何度もはらはらさせながらもピンチをチャンスに変えてきたのです.このジーコの神がかり的な力は,彼にこたえた選手たちが自らのプライドにかけて自分で考えて行動出来るようになって生まれたものと思われます.同じようなことはすべての職場についても言えると思いますので,我々も誇りを持って勤務してゆきたいものです.

(院内広報誌「なんきんまめ No.60(2005.9.1)」に掲載)
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