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キアゲハ通信No.004-「多くの師(その2)」

2014.01.23 更新

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「多くの師(その2)」

院長 西田 善彦

 

 前回から引き続きまして私のお世話になりました先生についてお話いたします.今回は九州大学医学部神経内科教授の黒岩先生です.

 黒岩先生は,“Neurology”という言葉を“神経内科”と訳して紹介され,日本で初めて神経内科学講座の教授になられました.私は,昭和60年に齋藤教授(現徳島大学学長)からご紹介いただき,九大の神経内科の門をたたきました.黒岩先生はこの時,偶然にも三好先生の時と同様に定年退官の1年前でありました.残念ながら既にご病気(恐らくパーキンソン病)で,体調を崩されておいでました.そのため患者さんを直接診られることは少なくなっておられましたが,三好先生と同様に学生にはとても人気があり,かつ医局内ではとても厳しくご指導されておいでました.先生はライフワークとして,多彩な神経症状を呈し殆どすべての神経疾患を鑑別する必要があるとの理由で多発性硬化症を取り上げられました.そして多発性硬化症の疫学調査などを通じて日本に神経内科を広く知らしめるとともに神経内科の専門医制度の確立にもご尽力されました.すなわち,研究だけでなく診療や教育にも神経内科のパイオニアとしてご熱心に取り組まれました.神経内科は分からないものとして学生時代からずっと避けていた私が,厳粛な教授回診や各種討論会にボロボロになりながらも何とか耐えられましたのは,患者診療を通じて研修医を教育するシステムがしっかりしていたのと医局内に親切でやさしい先生方が大勢いたからにほかなりません.

 黒岩先生はたくさんのモットーをもっておられましたが,その中で「拙速(つたなく,はやく)」が,私にとって最も印象に残った言葉です.勿論,先生は頭脳明晰で拙文など書かれるはずはないのですが,とにかく早く論文を書きなさいという戒めでありました.私は,先生のこのお言葉を胸にして現在の私なりに応用し,少しでも患者さんのお役に立てますよう書類はできるだけ早く書くように心掛けております.

(院内広報誌「なんきんまめNo.31(2000.10)」に掲載)
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