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キアゲハ通信No.048-「セレンディピティ」

2014.09.17 更新

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「セレンディピティ」

院長 西田 善彦

 近頃,世の中ではカタカナ表記の外来語の在来語が大変目立ち,何となく分かっているつもりで使うことが多いようです.しかしそれでも「セレンディピティ」という言葉はさすがに聞き慣れないと思います.かくゆう私もこの言葉を初めて聞いたのは,昨年(平成19年)10月に当院で開かれたALS友の会での畠山先生の講演においてでした.セレンディピティとは,スリランカの3人の王子の童話にちなんだ造語であり,「偶然幸福発見力」と訳すことが出来るのだそうです.すなわちセレンディップの3人の王子たちは聡明であり,旅先で偶然に出会った些細な事からも多くの有意義なことを見つけ出してゆく能力に長けていたそうで,このことから「失敗してもそこから何かを見落とさずに学び取って成功へと導いてゆくこと」のような意味での比喩として使われるようになったそうです.

 畠山先生は早稲田大学人間科学学術院の教授であり,意思伝達手段を開発する技術にかけては日本でも第一人者として「スイッチの神様」とも呼ばれる高名な先生です.その先生から技術的なことを学ぼうと当院にお招きして講義をお願いいたしました.ところが先生は講義の中で技術的なことよりもむしろ精神的な事の重要性をお話になりました.すなわち障害を支援する人に求められる視点には,「観察者としての視点」,「対話者としての視点」,「共感者としての視点」の3つがあり,支援者はともすれば観察者や対話者としての視点でしか見ていないのに支援対象の人の気持ちを分かっているという錯覚に陥りがちですが,この共感者の視点というのは対象者の目線から物事を見て同じ価値観を持つことによりもっと深い理解を得るというものなのです.その考え方は,先ほどのセレンディピティの精神に通ずると先生は言われておりました.

 あの日は,ともすれば専門的な知識や技術の習得にばかり目が奪われがちなるところ,同じ人間として相手の立場に立って考えることの重要性を再認識し,目から鱗が落ちた1日でした.

(院内広報誌「なんきんまめ No.75(2008.3.15)」に掲載)
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